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1 異常な「改憲論ブーム」と立憲主義
(2004.3.14.)

2 イラクでの日本人人質事件から見えたこと(2004.5.16.)


1 異常な「改憲論ブーム」と立憲主義

 民主党の改憲論議を報じた2月5日の『毎日新聞』は、「憲法改正問題での民主党の出遅れ感は否めない」とコメントしています。ここからも伺えるように、改憲を当然の前提として、そのスピードを競うような風潮が生じてきています。私たちはまず、このことを深刻に受けとめる必要があるでしょう。

 今年に入り、各党有力者の改憲発言が目立ちます。民主党は7月の参議院選までに憲法案の中間報告を出すとしていますが、その民主党菅直人代表は、1月13日の党大会で「国民が実質的な主権者として行動できる憲法が必要。国民投票や住民投票を検討し、分権国家とする」と発言しています。以来、改憲を市民革命になぞらえ「脱官僚・国民主権」をキーワードに、一院制への国会改編や憲法裁判所新設など矢継ぎ早に改憲案を打ち出しています。とりわけ、現在の二院制では「国民の意見の反映が遅れる」(1月8日)との認識で一院制を提案していることは、民主党がより小選挙区を重視した選挙制度への変更を指向していることと相俟って、スピードを強調する特殊な民主主義観に立脚するものといえ、別途本格的な検討が必要でしょう。このような菅代表の主張に併せる形で、小泉純一郎首相も1月20日、自民党の憲法調査会会長に一院制や首相公選制の導入も検討するよう指示しています。周知の通り、2000年1月に衆参両議院に憲法調査会が設置され、議論の質はともあれ、「調査」がなされています。その衆議院の憲法調査会は、かつて首相公選制を採っていたイスラエルに調査団を派遣し、イスラエルでの公選制の失敗を認めています。団長を務めた中山太郎衆議院憲法調査会会長は、2001年10月11日に「イスラエルでは、元来政権安定のために導入したはずの首相公選制によって逆に少数乱立を許すことになってしまい、そのねらいはまったく外れてしまった」と報告しています。もしこのような憲法調査会の議論を踏まえずに、小泉首相が首相公選論を再び主張し出したのであれば、憲法調査会の「調査」とは一体何なのかという根本的な問題にぶち当たるはずです。いずれにしろ、一院制や首相公選制をめぐる小泉首相の改憲発言は、真剣味のあるものではなく、「とにかく改憲ありき」の議論といえるでしょう。「本音」は、「自衛隊を海外に出すための9条改憲」という別のところにあることは明らかです。その証拠に、たとえば首相は2月10日の衆議院予算委員会で、歴代政府が自衛隊の海外派遣を憲法解釈で説明してきたことについて、「国民の間に憲法の条文によって解釈が違憲、合憲と二つに分かれるのではなくて、すっきりとした形で改正することによって、違憲論、合憲論の見方が分かれる状況はなくしていった方がいい」と強調しているのです。また、山崎拓氏も2月18日の自民党憲法魂査会で、「集団的自衛権の行使を憲法上明確にするとともに、自衛隊が国際貢献できることも明記すべきだ」と9条改憲を主張しています。

 他党についても触れておきましょう。環境権やプライバシー権などを憲法に追加する「加憲」を打ち出している公明党は、2月4日に同党国会内の憲法調査会で、知る権利の明記、憲法裁判所の新設、首相公選制の導入を加憲の対象に加えるとしており、今後「9条加憲」の扱いが争点となるようです。共産党と社民党は護憲を掲げていますが、社民党は国会議員による憲法問題の勉強会を設置しました。さらに、2001年に超党派の国会議員で結成された「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」(自民、民主、公明などから173人が参加)は、2月18日に総会を開き、中曽根康弘元首相や鳩山由紀夫民主党前代表、安倍晋三自民党幹事長らを招き、政界再編をも視野に改憲論を加速させる動きを見せています。

 さて、日本国憲法99条は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と規定しています。「国民の」ではなく、「公務員の」憲法尊重擁護義務というこの規定は、立憲主義という考え方を反映したものといえます。歴史上、近代憲法は、西洋での近代市民革命において、絶対君主を打倒し、近代国家を建設するにあたってつくられました。そこでは、憲法という最高法でもって国家機関に権力を授けるとともに、その憲法で国家権力を拘束することにより国民の権利を保障しようとしたのです。憲法が、国民の権利保障の規定を中心にしているのはそのためです。この憲法でもって国家権力を拘束するという考え方が立憲主義というもので、法的な議論の大原則といえるでしょう。この原則からすると、首相は憲法によって拘束されるまさにその対象であるわけです。その首相が自らを拘束する憲法を改めたいというのは、立憲主義の否定以外の何物でもなく、ともすると首相は自らの正当化根拠をも否定することになるでしょう。もっとも、日本国憲法96条に「改正」の規定があるように、国民の間で改憲が論じられること自体は、(もっともその議論の中身にもよりますが)悪いことではありません。問題は、そのような改憲論を首相なり国会議員が「煽る」ような形で主導することです。改憲論は、あくまでも国民の内在的・自発的な声として、しかも現憲法の諸規定を完全実施したがそれでも限界があるという文脈で、はじめて語られるべきでしょう。さもなければ、仮に新たな憲法がつくられたとしても、それを支えるだけの国民の力が伴わないからです。

 1946年に公布された日本国憲法は、政権政党の改憲策動にもかかわらず、誕生してもうじき60年になろうとしています。これは「戦争を否定し、自由で民主的な社会をつくりたい」と願い、ときに声をあげ闘う日本国民の力によって支えられてきたといえるでしょう。日本国憲法には、そのような私たちの先輩や私たち自身の思いや運動が凝縮しているのです。首相らによる安直な改憲論によってこの日本国憲法の力を捨て去るのではなく、この力を活かした政治こそが求められているのではないでしょうか。いずれにしろ、今日の「改憲論ブーム」は、立憲主義の大原則に反するばかりか、平和や自由を求める日本国民の力を捨て去ろうとするものであり、到底容認することはできません。

                                                      事務局


2 イラクでの日本人人質事件から見えたこと

1) 4月8日にイラクでおきた3人の日本人人質事件は、8日間で解放という形で無事解決しました。しかし、この「非常事態」ともいえる事件や、それへの政府の対応、さらにはこの事件をめぐって語られた言説から、さまざまなことが見えてきます。とりわけ、1990年代以降の、「国際貢献」や「有事法制」必要論への疑問に、「事実」でもって証明したことがあります。以下、二点にしぼって述べることにします。

2) 第一は、イラクでの子どもの支援など、真の人道支援を行っていた民間人が人質となり、 犯行グループが解放の条件として、日本政府に「自衛隊の撤退」を要求したという事実です。ここからは、「日本政府が占領軍に協力する形で自衛隊を派遣したことが、本来の人道支援を行ってきた民間の人々を危険にさらす結果に繋がった」(JVC(日本国際ボランティアセンター)の声明、4月9日)と言えます。
  自衛隊「派遣」が民間の「真の」人道支援の妨害となったと言っても過言ではないでしょう。人道支援ということでは、自衛隊よりも国際NGOの方が優れていることが、熊岡路矢氏(JVC代表)の1月29日の国会陳述等で明らかになっています。そこで熊岡氏は、人道支援の必須項目である給水を例にとり、「自衛隊が約404億円の費用をかけて1日16,000人に給水を行うのに対して、国際NGOは約1億 円の費用で1日10万人に行う」と述べています。そもそも、現地の人々の視点に立つことが必要な人道支援に、武装した「軍」が不向きであることは言うまでもないでしょう。また、政府は自衛隊「派遣」を人道支援だと言いつづけてきましたが、それは日本国内のみで通用する議論であって、肝心の現地では、必ずしもそう受けとめられていないことも明らかになりました。

3)  ところで事件の後、民間の人道支援活動家に対して、「自己責任」論が噴出しています。この議論の前提には、「人道支援や『国際貢献』は、民間ではなく自衛隊が行うものだ」 という想定があるようですが、自衛隊が人道支援に不向きであるのは、前述の通りです。アメリカのパウエル国務長官は、「(よりよい目的のためにみずからの身を危険にさらした)3人を誇りに思うべきだ」(4月15日 TBSのインタビュー)と語りました。日本政府には、本来このような非軍事の人道支援をサポートすることが求められているはずです。しかし「自己責任」論は、「民間人は軽率な行動を慎むべき」「命を落としても政府に責任はない」という正反対のメッセージを発しており、自衛隊主導の「国際貢献」ムードを強めるとともに、民間の人道支援にマイナスの印象を与えています。
  そして何よりも、自衛隊「派遣」という本質的な問題から人々の注意を逸らす、一種の情報操作がなされているといえるでしょう。

4)  第二は、人質解放の条件である自衛隊の撤退という選択肢を政府は早々に取り除いた、 という事実です。その理由は、「テロに屈しない」という国家の意思を示すことだといい ます。このとき政府高官は、「人質になった3人は死ぬかもしれないが、政府は引けない。 つらいけどしょうがないんだ」(4月17日『北海道新聞』)と言ったそうです。このことは、国家というものが決して一人ひとりの国民を守るものでないことを如実に示しています。これが日本政府の体質であるならば、「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に資する」ためという有事法制も、結局は国のために国民に協力を強いるものにほかなりません。しかも、イラク戦争での政府の一連のアメリカ支持姿勢を考えると、自衛隊「派遣」態勢にしろ、有事法制にしろ、アメリカの戦略に基づいて進められていることは明白です。
  ただその背景に、アメリカの世界支配秩序に日本が軍事的にも関与することが、世界規模で活動する日本の大企業にとっての「得策」であるとの判断が、日本の政府・財界にあることも見落としてはなりません。

5) これとかかわって、「テロに屈してはならない」という主張についてです。この主張自体は多くの支持を得ているようですが、ノーム・チョムスキーによれば、誰も反対しようとしないスローガンを掲げることは、典型的な情報操作だといいます(『メディア・コントロール』(集英社新書))。
  冷静に考えてみると、テロに屈しないことと「自衛隊を撤退させるべきでない」という主張とはイコールではありません。そもそも自衛隊の「派遣」には反対論も多く、世論は二分し、日本国民の「総意」とは決して言えないものでした。また、自衛隊のイラクでの活動を法的に正当化するイラク特措法は、そもそも違憲の疑いの強いものですが、それでも「非戦闘地域」という歯止めをかけています。日本が法治国家であるかぎり、「テロに屈してはならない」という政策論は、あくまでも法的な縛りの枠内でなされなければならず、この政策論が「イラクが『非戦闘地域』か否か」という議論を左右することは到底許されません。

6)  政府は、イラクでの自衛隊の「駐留」に固執しています。しかし、イラクでいま一体何が求められているのか、そして平和憲法をもちイラクの人々からも信頼されてきた日本だからこそ何ができるのか、原点に立ち戻って考えるべきときでしょう。自衛隊「派遣」という既成事実やアメリカ追従姿勢のために、日本が大切にしてきたものを失うわけにはいきません。

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